「パスワードは3か月ごとに変えること」。前任者が作った社内ルールがそのまま残っていて、社員は末尾の数字を1つずつ増やしてしのいでいる。セキュリティを任された人が最初に目にする光景です。
そのルールは、やめてください。総務省も米国のNISTも、定期変更を求めていません。守りを厚くするのは変更の回数ではなく、使い回さないことと、2要素認証です。読み終えると、今日決める3つ(記録する場所・2要素認証の方式・管理者アカウントの守り方)が決まり、最後の表を埋めて社内に配れます。
先に結論:私ならこの組み合わせにします
- 記録する場所は、専用のパスワード管理ソフト1つに決める。 2人以上の会社なら、ブラウザの保存機能や表計算ファイルではなくこちら
- 2要素認証は認証アプリを標準に、使えるサービスはパスキー。 SMSは「それしか無いとき」だけ
- 管理者アカウント(メールの管理者、ドメイン・DNS、銀行)には物理のセキュリティキーを2本。 1本は予備として金庫へ
やめるものも3つ。定期変更のルール、共有パスワードの表計算ファイル、SMSだけに頼る2要素認証です。
目次(7)
1. 定期変更をやめてよい根拠
定期的に変えさせると、人は Spring2026! を Summer2026! にします。攻撃する側もそれを知っています。総務省の「国民のためのサイバーセキュリティサイト」は、定期変更は不要で、流出時に速やかに変更すること、定期変更はパターン化や使い回しを招くことを示しています。NIST SP 800-63Bも、定期的な変更は求めず、侵害の証拠があるときに変更させる、としています。
代わりに決めるのは「漏れたと分かったら、そのサービスをすぐ変える。誰に知らせるかを決めておく」です。
長さについて。NISTは利用者が決める場合は8文字以上(2025年8月の改訂版 SP 800-63B-4 では、パスワードだけで認証する場合は15文字以上、多要素認証の一部なら8文字以上)とし、文字種の混在などの構成ルールは課していません。私は社内の下限を15文字にします。管理ソフトが作って入力するので、長くても誰も困りません。「大文字と記号を必ず入れる」の決まりも外します。
2. パスワードをどこに記録するか
サービスごとに違う長いパスワードは、覚えられません。覚えさせようとすると使い回しが始まります。だから「どこに記録するか」を先に決めます。
| 方式 | 内容 | 私の評価 |
|---|---|---|
| A. OS・ブラウザに組み込まれた機能 | 端末やブラウザのアカウントに保存し、同じアカウントの端末間で同期する | 1人で、同じ系統の端末だけを使うなら十分。そのアカウント自体の2要素認証と、端末を失くしたときの復旧方法を確かめておく。会社のパスワードが社員個人のアカウントに入るので、2人以上の会社には勧めません |
| B. 専用のパスワード管理ソフト | 保管庫を1つのマスターパスワードで守る。1Password、Bitwarden など | 2人以上ならこれ。 共有の保管庫を作れて、人が抜けたら保管庫から外すだけで済む。選ぶときは、共有の単位、退職・契約終了時の取り消し方、書き出し(エクスポート)の可否を見る |
| C. 紙 | 手帳などに書いて施錠して保管する | 日常用には勧めません。ただし復旧用コードとマスターパスワードの控えは紙で、施錠できる場所へ。持ち歩かない |
よくあるのは、共有フォルダに置いた「パスワード一覧.xlsx」です。全社員が開けて、誰がいつ見たか分からず、退職者の手元にコピーが残ります。退職のたびに全部を変える手間を考えれば、管理ソフトの月数百円は安い買い物です。費用を足せない1人の事業なら、Aで構いません。そのかわり、そのアカウントの2要素認証だけは今日設定してください。
3. 2要素認証の方式:SMSで止めない
| 方式 | 仕組み | 偽サイトに入力させる手口への強さ | 注意点 |
|---|---|---|---|
| SMS・音声通話のコード | 電話番号あてに届くコードを入力 | コードを偽サイトに入力すると突破されうる | NISTは「制限つき(RESTRICTED)」と位置づけ、代わりの方式の提供を求めている(2025年8月の改訂版でも同じ)。電話番号を変えるときに移行が必要 |
| 認証アプリ(TOTP) | サービスと端末が共有した秘密の鍵と現在時刻から、短時間だけ有効なコードを計算する(RFC 6238。時間の刻みは30秒が推奨の既定値) | コードを偽サイトに入力すると突破されうる | 機種変更の前に移行手順を確認する。復旧用コードを保管する |
| パスキー | 公開鍵暗号にもとづく。秘密鍵は端末から出ず、端末のロック解除(生体認証やPIN)で承認する | FIDOアライアンスは「フィッシングに耐性がある」と説明している | 端末間で同期されるものと、1台の端末に結びつくものがある。どこに保存されるかを把握する |
| セキュリティキー | USB等で接続する専用の機器に鍵を持たせる(端末に結びつくパスキーの一種) | 同上 | 紛失に備えて予備を登録する |
どの方式でも、設定しないよりは守りが厚くなります。総務省もIPAも、多要素認証を利用すること自体を勧めています。だからSMSしか無いサービスは、SMSで設定します。
ただし「SMSを入れたから済んだ」で止めるのは勧めません。理由は2つ。SMSと認証アプリのコードは、偽のログイン画面に入力してしまえばそのまま使われること。もう1つは運用の問題で、会社の共用アカウントのSMSが、設定した社員個人の電話番号に届く形になりやすいことです。その人が辞めた日に、誰もコードを受け取れなくなります。
私の優先順位はこうです。
- パスキーまたはセキュリティキーが使えるなら、それ
- 次に認証アプリ。共用アカウントは管理者2人の端末に登録する
- SMSしか無いなら、SMSでも設定する。宛先は個人の番号ではなく、会社で持つ番号に
管理者アカウントにだけ物理のセキュリティキーを勧めるのは、そこを取られると全部を取られるからです。メールの管理者を取られれば、ほかのサービスのパスワード再設定がすべて通ります。ドメインとDNSを取られれば、メールの行き先ごと変えられます。全社員に配る必要はありません。管理者の2〜3アカウントに、キーを2本です。
4. 小さな会社の決めごと1枚(書き込んで配る)
下の表を埋め、関わる人全員に同じものを渡します。
| 決めごと | うちの場合(記入) |
|---|---|
| パスワードはサービスごとに別のものにし、長くする | 長さの下限: 文字 |
| パスワードを記録する場所は1つに決める(2節のA・B・C) | 記録する場所: |
| 定期的な変更はしない。漏えいの連絡を受けたら、そのサービスをすぐ変える | 連絡を受けたときに知らせる相手: |
| 2要素認証を、メール → ドメイン・DNSの管理画面 → 銀行・決済 → 会計・請求 → クラウドストレージ → SNS の順に設定する | 設定が済んだところ: |
| 方式は、パスキー・セキュリティキー → 認証アプリ → SMS の順に、使えるものを選ぶ | 例外のサービス: |
| 復旧用コードは、端末とは別の場所に保管する | 保管場所: |
| 機種変更の前に、認証アプリ・パスキーの移行手順を確認する | 次の機種変更の予定: |
| 共有アカウントは利用者を書き出し、人が抜けたらすぐパスワードを変える | 共有アカウントと利用者: |
メールを最初に守るのは、ほかのサービスのパスワード再設定がメールに届くためです。よくある事故は機種変更で、古いスマートフォンを下取りに出した後に、認証アプリの中身を移していなかったと気づきます。復旧用コードが無ければ、サービスごとに本人確認の手続きをやり直すことになり、ドメインの管理画面だと数日かかります。表の6行目と7行目は、そのための行です。
人が辞めるときの入れ替えは → 退職者のアカウント、消す前に止める
5. 確認表
| # | 確認すること | 済 |
|---|---|---|
| 1 | 事業で使うアカウントの一覧がある | □ |
| 2 | 4節の表を埋め、関わる人に渡した。定期変更のルールを廃止した | □ |
| 3 | メールとドメイン・DNSの管理画面に2要素認証を設定した | □ |
| 4 | 銀行・決済・会計に2要素認証を設定した | □ |
| 5 | 同じパスワードを複数のサービスで使っていない | □ |
| 6 | 復旧用コードを、端末とは別の場所に保管した | □ |
設定の操作手順はサービスごとに違います。IPAの「不正ログイン対策」のページに、主要サービスの設定手順への案内がまとまっています。
6. 公的資料は何と言っているか(根拠の一覧)
| 論点 | 総務省「国民のためのサイバーセキュリティサイト」 | IPA | NIST SP 800-63B(米国) |
|---|---|---|---|
| 強さ | 他人に推測されにくく、機械的に割り出しにくいもの。名前・生年月日・辞書の単語・同じ文字の繰り返し・短い文字列は避ける | 「できるだけ長く」「複雑で」「使い回さない」 | 利用者が決める場合は8文字以上(改訂版では、パスワードだけで認証する場合は15文字以上、多要素認証の一部なら8文字以上)。文字種の混在などの構成ルールは課さない |
| 使い回し | 複数のサービスで使い回さない。流出した情報が他のサービスへの不正ログインに使われる | 複数サービス間で使い回さないことが重要 | 新しいパスワードは、よく使われる値・漏えい済みの値の一覧と照合する |
| 定期変更 | 不要。流出時に速やかに変更する。定期変更はパターン化や使い回しを招く | — | 定期的な変更は求めない。侵害の証拠があるときに変更させる |
| 多要素認証 | 知識・所持・生体のうち2つ以上を組み合わせる認証の利用を勧める | 多要素認証の設定を推奨し、主要サービスの設定手順を掲載 | 方式ごとに要件を定める。SMS・音声通話は「制限つき」 |
IPAの「中小企業の情報セキュリティ対策ガイドライン」(第4.0版)も、基本の6か条の1つに「パスワードを強化しよう!」を挙げています。NISTの指針はサービスを運営する側に向けた文書です。下限15文字、セキュリティキー2本、という数は筆者の目安です。
出典(取得日: 2026-09-20)
- 総務省 国民のためのサイバーセキュリティサイト(パスワード・認証の項) https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/cybersecurity/kokumin/security/business/staff/06/
- IPA「不正ログイン対策」 https://www.ipa.go.jp/security/anshin/measures/account_security.html
- IPA「中小企業の情報セキュリティ対策ガイドライン」 https://www.ipa.go.jp/security/guide/sme/about.html
- NIST SP 800-63B Digital Identity Guidelines: Authentication and Lifecycle Management https://pages.nist.gov/800-63-3/sp800-63b.html
- NIST SP 800-63B-4(2025年8月の改訂版) https://pages.nist.gov/800-63-4/sp800-63b.html
- FIDO Alliance “Passkeys” https://fidoalliance.org/passkeys/
- RFC 6238 TOTP: Time-Based One-Time Password Algorithm https://www.rfc-editor.org/rfc/rfc6238.html